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日本代表のユニフォームは青 [M@ミュージアムマネージャー]

今日はサッカーの日です。

85年前の今日サッカー協会が、大日本蹴球協会として発足した日です。

それではその記念日に発表します。
一体何故
日本代表のユニフォームが青になったのか。

これが真説です。

1930年(昭和5年)神宮外苑競技場(現国立競技場)で行われた
第9回 極東選手権大会で
ついに日本代表は対外試合公式戦初優勝を果たしました。

日本代表メンバーは
斉藤才三(関学)、後藤靭雄(関学)、
竹内悌三(東大)、野沢正雄(京大)、
竹腰重丸(主将、東大)、本田長康(早稲田)、
高山忠雄(東大)、篠島秀雄(東大)、
手島志郎(東大)、若林竹雄(東大)、
春山泰雄(東大)、阿部鵬二(東大)、
杉村正三郎(早稲田)、井出多米男(早稲田)、
市橋時蔵(慶應)の15名

岸山義夫(東大)、近藤豪五郎(東大)、大町篤(東大)、西村清(京大)が
候補でしたがそれぞれの理由で辞退して、エントリー15名になっています。
マネージャーには東大の斉藤五郎、坂野清。

つまり、この時日本最強のチームは東京大学だったのです。
当時は最も強いチームが日本代表に選ばれ、
そこに他チームの選手を補強していました。
当然ユニフォームは、東大のユニフォームとなります。

東大のユニフォームは青。

ただし胸のマークは他競技と同じく「日本体育協会」の日章旗のようなマークです。

5月25日 7−2 フィリピン
手島志郎、若林竹雄4、市橋時蔵、オウンゴール
5月29日 3−3 中華民国
篠島秀雄、手島志郎2

実際には中華民国と再試合を協議したのですが、
中華民国チームは賛成せず、両チームが1位、
選手権は預かりとなっています。

これが日本代表の国際大会初優勝です。

極東3国の試合とは言え9回目にしてやっとの初優勝です。

次のマニラで行われた第10回極東選手権大会で
大会そのものは幕を閉じるのですが、
この大会出場チームの主力はほとんど早稲田大学で
東大はいないにもかかわらず
日本代表のユニフォームは青です。
そして、左の胸には日の丸がついています。

1930年(昭和5年)日本サッカーの歴史に冠する栄光の初優勝。
ここが日本代表のユニフォームが青になった出発点ではないか。

日本サッカーミュージアムの見解です。


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コメント 3

ミユキック

選手の名前からも歴史を感じますね(@@;
一度赤色になったとき戦績悪くまた青に戻ったとお聞きしました。
アウェーの色についても知りたいです。
ご存知でしたら教えてください。

by ミユキック (2006-09-11 17:53) 

日本サッカーミュージアム

当時セカンドユニ(アウェー)という概念は、全然ありません。
つまり選手は一枚きりのユニフォームを着続けていたのです。
しかも長袖すらなく、真冬でも七部袖です。
もっとすごいのは、ゴールキーパーも同じ色のユニフォームです。
戦争が終わって、FIFAに再加盟が許されても、
しばらくは七部袖青一色一枚で押し通しました。
物資がなかったこともあります。
セカンドユニ=白が登場するのはメルボルンオリンピックからです。
60年代は「白」が多く着られています。

赤いユニは1988年から91年です。横山監督の時代です。
カズが赤いユニを着て日本代表デビュー、
91年キリンカップで優勝しました。
「優勝したらいくらもらえるんですか?」
キリンカップの開催告知する記者会見で、
マジな顔でカズが言ったのを覚えています。
出席した人は記者も全員
「そんなことあるわけないだろう」って
冗談だと思って笑っていました。

この優勝後、オフト監督になり
怒涛の日本サッカー新時代に突入していきます。



by 日本サッカーミュージアム (2006-09-12 11:29) 

ミユキック

早速のご解答・興味深いお話、ありがとうございましたm(_ _)m


by ミユキック (2006-09-12 23:44) 

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