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サッカーミュージアムの素 145 [M@ミュージアムマネージャー]

「そして、もう3年ほどの時間が過ぎていました。
僕らが看板と呼ぶ女性歌手は脂がのりきったというのでしょうか、
続けて大きなヒット曲を出し、日本中の人々に知られていました。
公演は常に満席でした。デビューした当時は苦労したということでしたが、
もう誰もそんな話など聞きもしません。
もはや彼女は職業を変えることどころか、ひとりで街を歩いたり、
電車に乗ってうたたねすることなど不可能なところに立っているのです。
1日2回1月に10日として20回、1年で240回、3年で700回以上の公演です。
しかし彼女は消耗しません。
それどころかさらに声に深みが増し、彼女の歌には何かが宿っているようでした。
満員のお客は彼女の歌に聞きほれ、涙を流しました。」
「誰なのかな。聞いてみたい。」
「僕たちスタッフは落ち着いて仕事を続けていたのですが、
他の仕事の依頼も少しづつ増えていました。そこでスタッフを増やし、僕は新しい仕事をするようなりました。
新しい仕事というのは、新人のデビューコンサートです。
デビューしたて新人タレントというのはそれこそ1曲程度の持ち歌しかありませんから、
他に数曲の向いているような歌をつけたし、
曲と曲のあいだのトークの内容を決め、ショーの構成を決めます。
構成、譜面、バンド、振り付け、衣装、装置、音響、照明、特殊効果、
全てプロフェッショナルの仕事によって作り上げられます。
素人はデビューするタレントだけです。しかし、彼だけが取り替えが効かないのです。
貸スタジオに連日深夜から早朝まで缶詰めになり、
リハーサルを繰り返します。1曲ができれば次の1曲、そしてまた1曲。
まるで工場です。短期間で、最低90分のショーを仕上げなければならないのです。
選ばれた大都市のコンサート会場は、少女たちでいっぱいでした。
通常、JAZZやポップスのコンサートならば、1日1回。演歌の歌手でさえ1日2回が精一杯です。
しかし、彼のコンサートは1日3回行われます。
どの会場でも、曲も、曲と曲の間のトークもまったく同じものが3回、1日3回実施されるのです。
何故、3回だと思いますか?」
「・・・・」
「満員になるんです。3回とも。同じ客が1日3回とも見るんです。
熱心な客は、全国の会場で何日にもわたって1日3回を見届けるんです。
彼を見つめる少女たちは日常の全てを忘れ、同じトークの同じ冗談で大笑いし、
同じ曲の同じ部分で総立ちになって手拍子を打ち、口ずさみますます。
そしてコンサートの終了には、別れを惜しんで号泣してしまいます。
彼が全てを欲しいといえば、彼女達は何もかもをくれたでしょう。
デビューしたての新人は、激しく消耗しました。
過度の緊張と疲労で声は枯れ、なんということのない振り付けで打ち身やネンザなどの怪我をしました。
医者に連れて行き痛み止めを打たせ、僕たちは楽屋に布団とマッサージを用意しました。
しかし彼の仕事は1日3回のステ−ジを無事に勤めること。
何も考えずに同じことを繰り返しさえすればいいんです。
こうして数人のティーンエイジャーのタレントは状況を乗り越えやり遂げ、デビューを果たしました。
曲はやがてヒットし、僕が担当すると縁起がいいというジンクスが生まれ、仕事は増えていきました。
僕はこの時ビジネスというものの渦中にいたのでした。
コンサートだけではなく、その当時増え始めた企業コンベンションも数々手がけるようになって行きました。
企業が自社のブランドの浸透と新製品の紹介に、莫大な金額を使い、
大規模なプレゼンテーションを行うものです。
そして、最も印象に残る忘れることができない仕事をすることになったのです。」
「バブルが始まった頃ね。」
「ええ、そうです。お金がたくさんあった時代です。
その仕事は、アメリカの飲料メーカーの世界戦略、
日本ブランチへの展開についての一大プレゼンテーションでした。
東京本部はもちろんのこと、日本全国の支部支社、販社のほとんど全ての社員、
関連会社、有料小売販売店までが招待され、そのコンベンションに参加します。
千葉にあるNKベイホールという場所でした。
そこは客席がすり鉢上になった巨大なアリーナです。
舞台は間口も高さも奥行きも通常の数倍あります。
巨大な舞台には1枚のスクリーンをはりました。
いまではパワーポイントという便利なものがあって、苦労はすることがなくなりましたが、
当時はそこに150台ほどのスライドマシンを仕込み、数千枚のフィルム種板を用意しました。
そしてアリーナにはアメリカから来たデザイナーが要望した街を作り上げました。
そうです。街です。住居、様々な商店、学校、事務所、道路、そして遊園地といった具合です。
水道が引かれ、電気が点き、様々なインテリアを当然のようにおきました。
冷蔵庫をはじめ生活用品や細かな文房具も用意されました。
道路には工事現場が再現され、バイクや自転車も用意されました。もちろん自動販売機もあります。
遊園地にはメリーゴーランドと観覧車も設置されました。
普通の街と違うことといえば
屋根がなく、2階席3階席からそこを覗き込むことができるようになっていたことです。
その街の隅々を見せる為に、さらにテレビカメラクルーが用意され、
その映像は舞台のスクリーンに映し出されました。
百数十人の役者が呼ばれ、僕達は丁寧にひとりひとりに演技をつけました。
学校でテストを採点する女教師。
仕入れ伝票をつけている商店の店主、営業会議を展開する会社員、
配達に向かう宅配ピザ、仕事をさぼる遊園地の係員、
初めてのデートに座ることも忘れて歩き続ける恋人達、立ち読みする学生、
工事現場で働き続ける労働者やガードマン、掃除をする老人、
犬を散歩させる主婦、寝ている人・・・そういった感じです。
そうして、彼らはその街の住人になりました。
このコンベンションの目的は、その飲料メーカーの主体商品の優位性を確認し謳うものでした。
新製品開発や価格競争にむかうのではなく、自らのブランド主力商品を消費者に再認識させ、
1人単位あたりの消費を増加させることによって、全体消費を引き上げるという戦略です。
人々の生活のあらゆるシチュエーションの中にいかにブランドを浸透させるか、
まずブランドが及ばない場所を開発し、開発されている場所にはさらに大きな面積のブランドを露出させる。
そしてその飲料をどのシチェーションのなかでも、いかに自然に、そして多く消費させるか、
様々なブランド浸透の戦術プレゼンテーションが繰り広げられました。
プレゼンテーションのこまごとには、飲料の栓が抜かれ、なみなみとコップに飲料が注がれる音が、
繰り返し再生されます。
プレゼンテーションにあわせて舞台上のスクリーンには様々な形で映像が展開され、
そしてスポットに浮かびあがるアリーナの街に住む住人達には、
まったく戦術として説明されるものと同じシチェーションが起こりました。
そしてそのたびに街の住人達は、誰もがおいしそうにその飲料を飲み干しました。
プレゼンテーションの最後、アリーナの街の住人は2階席の観客席に数台の巨大な足場を用意します。
2階の席から、そこにいる人々を街に呼び寄せるのです。
最初はとまどいながら、その飲料の社員、関係者達は、
街に降り立ち、よくできた街の様子や、そこにいる役者達を珍しそうに見ているのですが、そのうちに彼らは、街を歩き出します。そこに置かれた椅子にすわり、開いていない扉を開けて部屋を探検したりはじめるのです。
やがてあたりまえのように、誰もがその飲料を手に取りだします。
そこにいる全ての住人がその飲料を手にしたとき、
飲料の栓が抜かれなみなみとコップに飲料が注がれる音が、映像とともに再生されました。
彼らはその飲料をノドをならしながら飲み干しました。
バンドが演奏をはじめ、膨大な量の料理がはこびこまれ、遊園地のメリーゴランドと観覧車が動き出します。
大きなパーティが始まりました。
僕は司会の岡田真澄さんと舞台の高いところで、その様子を見ていました。
−上手くいったねぇ。みな幸せそうだねぇ。
ファンファンは片目をつぶってそう言いました。僕はうなずきました。そうです。平和で幸せな光景です。」
「幸せ?」
「当時の僕は不遜でした。数千人の観客の顔を一瞬見れば、
そう、テーブルに落ちるトランプのように、その全ての人々の意識の状況を読めると思ったのです。
人々の意識の輪郭をつくりあげている言葉に、音楽や光といったシステムを使って、
大きな振動を与えれば、その意識の大半を占める感情を全てコントロールできると思いました。
驚かし、笑わせ、怒らせ、泣かせるのです。
そしてシステムをつかって時間をかけて予定調和さへさせればいいのです。
幸せという記憶を商品として売ることができるのだと信じていました」
「成功した、大ミュージシャンのマネージャーみたいね。」
「そう、エプスタインや、帝国の宣伝相や、黙示録を書く預言者にでもなったようでした。
広告代理店やプロダクションが僕を迎える用意があるといってきました。
でも金は潤沢にあり、第一使う場所がありませんでした。仕事にのめりこんでいました。
自宅のワンルームに帰るのは、せいぜい深夜か早朝に寝に戻るだけ。
月の20日は地方のホテルに泊まっているといった具合です。
知人は増えました。作曲家や、レストランの経営者、TVの創世記に活躍したプロデューサーといった人たちです。僕は高級な服を着て、高級なレストランで彼らと食事をしました。
彼らは僕を重用しました。僕は舞台演出関係の社団法人の研究員に選ばれ、ロンドン、パリ、ラスベガスなどで行われる演出機器の最新の情報を見知っていました。
それを日本に輸入し、買い取り、操作できる専門の技術会社を知っていました。
国内の演出機器メーカーは極端な寡占状態の中で競争がなくシステムそのものが古くて、
演出家が望んだものを表現するのに程遠かったのです。
僕は彼らの求めるものを海外のメーカーの具体的な機器、システムに置き換えていきました。
そうして、それらを使って、彼らは花火ページェントを行い、コンセプトレストランを作り、映画祭を立ち上げました。
そんなある日のこと、今のご主人に出合ったのです。」
「サッカー?ようやくサッカーね。」
「ええ、サッカーです。ようやくサッカーです。」
「どういう風に出会ったの。」
「僕が出会ったご主人は、みすぼらしく、そして貧乏でした。」






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コメント 6

ナナ3.9kg

ウォー

by ナナ3.9kg (2006-12-02 22:26) 

ねむりん

わくわくどきどき♪

by ねむりん (2006-12-04 01:42) 

えっと

...読みずらいw

by えっと (2006-12-07 21:50) 

m@マネージャー

それでは、この話やめましょう。

by m@マネージャー (2006-12-10 18:32) 

七四

そ、それだけは何卒ご勘弁を。お代官猫さま。
続き、すごくすごく楽しみにしているのです。
サッカー仲間と「一体Mマネージャーって・・・」と
(失礼ですが)毎日毎日話題にしながら、でも
そんな楽しみがあるからこそ、日々の仕事を、
何とかかんとか、こなしていけているのです。

なので、とても手前勝手な理屈ですが、ここで
止めるのだけはやめてください。泣きますよ。
なぜなら続きがとても気になって、落ち着いて
クラブワールドカップの観戦ができませぬ故。

しかも密かに確信持ちますが、最後の一節で
思わず吹き出してしまった人間は、私だけでは
ないはずですから。宜しくお願いいたします。

by 七四 (2006-12-10 21:38) 

ねむりん

それより何より、この話はこれからが佳境じゃないですか〜〜〜〜っっ。
止められたら私も泣きますっっ。

by ねむりん (2006-12-11 22:57) 

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