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サッカーミュージアムの素 140 [M@ミュージアムマネージャー]

博物館のような仕事をしていると
当然のように様々な問い合わせがある。
多くは場所や料金の取り合わせだが、
中には複雑な質問もある。
どこに言えばいいかわからないので、
とりあえずサッカーミュージアム言っておけというものもある。

その電話も、
そういった問い合わせの中のひとつのように
あたりまえに、ある日の午後かかってきた。
それは女性からだった。
決して年老いてはないが非常に丁寧な言葉で落ち着いた声だった。
「ひとつうかがってもよろしいでしょうか?
どこに電話かけてよろしいかがわかりませんでしたので、
そちらに電話させていただきました。」
「はい、どうぞ。」
女性は呼吸をととのえるように間をおいた。
「私の長男のことでございます。」
「はい。」
「サッカーを、小学校から続けております。」
「はい。」
「今高校三年となりまして、大学を受験するところなのです。」
「はい。」
「本人も進学を希望しておりまして、親としては安堵しておりますところです。」
「はい。」
「失礼いたしました。すみません。人に相談などしたことがございませんので。」
「いんですよ。お役にたてれば。それで。」
「実はその長男のサッカーのことなのです。」
「はい。」
「大学に進学するにあたって、大学でもサッカーを続けたいと申しまして。」
「すばらしいですね。」
「いえ、それがサッカーで推薦を受けたいと申すのです。」
「はい?」

私は何が問題なのかがさっぱりわからなかった。
しかし電話の彼女の声はあきらかに、
サッカーという言葉に疑問を持っているようだった。
「ですから、サッカーで大学に進むと言っているのでございます。
 進学の面談で高校の指導も受けましたが、
学校の方ではこれ以上は責任が持てないとのことでして、
私どももどのようにしてよろしいのかがわからないのです。」
「つまり大学進学のサッカー推薦を受けるに当たって
問合せ先が知りたいと言うことでしょうか。」
私はできるだけ事務的に尋ねた。
「いいえ、そうではありません。」
電話の女性はきっぱりとまるでなにかふりきるように言った。
「サッカーなのです。問題は。」
「サッカーに何か問題があるのでしょうか?」
「はい。正直に申し上げて、私にはわからない問題なのです。
古い考えかも知れませんが、大学進学というものは
私どもにとっては一生につながるようなことではないかと考えております。
その生涯の事柄をサッカーで、そうです、サッカーで決めることが、
本当によろしいのか、わからないのでございます。」
「・・・うーん、難しい問題ですね。とても難しい・・・」
私はやや混乱していた。
電話の声の主は落ち着いていた。
どうしても自分の問題への納得できる回答を求めていた。
決心してサッカーミュージアムに電話していた。
電話の声は 遠くのようでもあり、近くのようでもあり、
電話の途中の空気は震えるようにノイズを発信していた。

「難しい問題です。解答できるかどうかは、わかりません。
ただ僕の感じていることを すこし言います。」
「はい。」
女性は姿勢を正したようだった。
「サッカーだけでなく、何かを続けるということは
とてもすばらしいことだと思います。
 それが、人生にとってどんな意味があるかは、
私も長く生きているわけでないので、
正直わかりません。でも。」
「でも?」
「自分にとって楽しいこと やりたいことをやめてまで、
やらなければならないことって何でしょう。
 重要なことが他にあるんでしょうか。
よく、人はアリとキリギリスの話を人生訓のように使いますが、
キリギリスは不幸だったが、幸せでもあった。
アリは幸せだが、不幸だったのかも知れないと、僕は思います。
あ、僕の言いたいのは、絶対的な真実なり価値を見出すのは自分であって、
他者ではないということです。」
「社会はサッカーを認めていますか?」
「・・・」
「人生をサッカーに委ねていいのでしょうか?」
「・・・わかりません。
ただサッカーが人生を決めるのではなく、
人生のなかで自分がサッカーに価値を見出すこと。
そこに身を置く決心をするのは
自分だけではないかと思います。」

電話の女性は沈黙した。

「・・・ありがとうございました。」

電話は唐突に切れた。

この電話のことは、しばらく喉にひっかかったように残っていたが、
2週間もするとすっかり忘れてしまっていた。
多くの団体がミュージアムを訪れ、いくつものイベントの打ち合わせを重ねた。
いくつもの問い合わせの電話が鳴り、いつものように事務的に回答をした。
そしてある日の午後、いつものように電話に出た。

「もしもし、私先日お電話をさせていただきましたものでございます。」
電話の声は 遠くのようでもあり、近くのようでもあり、
空気は震えるようにノイズを発信していた。

あの女性だった。


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