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サッカーミュージアムの素 141 [M@ミュージアムマネージャー]

「私、先日お電話をさせていただきましたものでございます。」
あの女性だった。

「はあ、えー覚えております。何も役にたてなかったとは思いますが。」
「いえ、こちらこそ突然電話いたしまして失礼いたしました。」
電話の女性は丁寧に応え、そのあとひとつちいさな咳払いをした。
「あの今日は、先日の電話の後のことでございまして、
ご報告もうしあげるのもいかがなものかとは存じましたが、
やはりお電話した以上は、お話しておいたほうがよろしいかと思いまして
電話差し上げた次第です。
実は私にとりまして先日の電話の後、心にまだ残るものもありまして、
一時あることで解決したかのように見えたのですが、
なぜか私のなかではもやもやしたものが残っております。
ですのでお話させていただければ、この気持が晴れるのではないかと思ったのです。
あの、お時間大丈夫でしょうか。」
「はい、結構ですよ。」
恐縮したそぶりだが、声は落ち着いて強い。

「あの後、長男と話をする前に、私の兄とこの話をいたしました。
私の兄でございますから、長男の伯父にあたるのでございますが、
長男を子どもの頃からかわいがってくれておりまして、
娘が2人おりますのですがそちらは2人ともすでに嫁いでおります。
男の子がいませんものですから、
私の長男をときどき呼び出してはドライブに行くようなことをしております。
どうしても進学や就職といった問題は身内ですとやや感情的になってしまい、
きちんとした話ができませんものですから、
兄に相談をし、いよいよ本人と話をしてもらおうと考えたわけです。」
「はい。」
「先日お話ありました、アリとキリギリスの話もいたしました。」
「はあ、えーとあれはすこし行き過ぎたかもしれませんが。」
「いえ、その話が一番兄にわかりやすかったようです。」
「はあ、そうですか。」

「ところが、兄はそのたとえは適切ではないと申しまして」
「はあ。」
「アリとキリギリスは、その生来の本能のままにその仕事をしているのであって、それが定めである。
自らが選択する余地がどこにもないと申すのです。」
「なるほど、そういわれればそうですね。」
「ですので、例えるのならアリとキリギリスの話ではなく、ウサギとカメが適切であると。」
「ウサギとカメというと、あの徒競走の話ですか。」
「そうです。ウサギがなまけるうちにカメが勝つというものです。」
「なんだか経済の話によく使われるたとえですね。」
「はい、兄は中堅どころの商社の役員をしております。
よくウサギとカメの話は本で読むのだそうでございます。」
「ウサギはポテンシャルがあるにもかかわらず勝機をのがした、
一方カメは前を向いて歩くだけで健全に目標を完遂した。
その結果が、勝敗を分けたというものですね。」
「はい、その通りでございます。兄は長男にカメ型を薦めると申しております。
 たとえウサギの能力を持っていたとしても、カメになりなさいというつもりだと。」
「うーん、しかしこの話のそもそもの勝負のつけかたのシチュエーションに
 問題があるのではないかと僕は思います。」
「はい?・・・」

「カメが陸に上がって徒競走をすることで最初からハンディを負わせていますよね。
逆に水泳であれば、泳ぎの競争であれば、カメは絶対的に勝つと僕は思います。
なにしろウサギが泳いでいるところを見たことはありませんが。」
「なるほど。」
「えーと、誤解しないでほしいんですが、
決して努力をすることを否定するわけではありません。
でも、そもそもそういう風にあるべきものを違う形にして比較するのは、無理があることではないでしょうか。
アリもアリだし、キリギリスもキリギリスだし、カメもカメで、ウサギもウサギですよね。」
「おっしゃることは、確かです。
今私も私のわだかまりがそこにあったような気がしてまいりました。
しかし、それでは、このお話のたとえが何の意味もなくしてしまいます。そもそも・・・・」
電話の声はここで言いよどんだ。何かを考えている風だった。

「あのー立ち入ったことをうかがってもよろしいでしょうか。」
「あ、はい、なんでしょう。」
「何故あなたはサッカーをお仕事にされているのですか。」
「え・・・・」
「すみません。立ち入ったことをお聞きして。」
「いえ、いいんです。そうですね、えーと・・・。」
電話の声は押し黙って、私の回答を待っていた。

「うーんなんと言えばいいか、あのう、ある出会いがありまして、
 そうですね、あのー、猫のようなものです。」
「はい?猫ですか?」
「ええ、そうです。猫です。長靴をはいた猫です。」
「長靴をはいた猫ですか?」
「つまり、僕に長靴をくれたご主人がサッカーでして、その恩返しを今、しているところなんです。」
「はい?」
私は頭の中で、アリとキリギリスとウサギとカメと猫が登場するカトゥーンを探した。
しかしどこにも思いあたらなかった。
「あなたが猫でサッカーが長靴を与えた主人というのですね。」
「えー、まあそうです。」
「わかりました。」
そう言って、電話は唐突に切れた。

ミュージアムはリニューアルをひかえ、打ち合わせに忙殺された。
多くの団体が訪れ、時には取材がはいった。
問い合わせの電話がなり、時には複雑な問題の質問もある。

いつものように電話を取った。
「私、先日お電話をさせていただきましたものでございます。猫さんですか。」

―あの女性だった。


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ナナ3.9kg

ワクワク

by ナナ3.9kg (2006-11-20 18:06) 

ミユキック

失礼ながらも、お二人の高尚な会話を声を出して笑いながら
読んでしまいました。早く続きを!!

by ミユキック (2006-11-20 20:35) 

ねむりん

しかし、教育の現場で働く者としては、結構深遠なお話だと拝見いたします。
サッカーって、そんなに社会的に認知されてないとは思わなかったんですけどね……。

ゲームとかマンガとか。更に言えば「芸能界に入りたい」「声優になりたい」と言う子供達に対して、親御さんが抱く戸惑いに通じる所があるかと思います。

マネージャーM様のお話は、いつも示唆に富んでいて深く心に残ります。
願わくば、この女性のその後を私も伺ってみたいです。

早く続きを!!

by ねむりん (2006-11-23 22:22) 

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