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サッカーミュージアムの素 142 [M@ミュージアムマネージャー]

いつものように電話を取った。
「私、先日お電話をさせていただきましたものでございます。
 猫さんですか。」

「えーあーその、猫ではないですが・・・あー・・・」
「猫さんですね。」
「えーまあその、そうともいいます。」
「あーよかった。」
電話の声は、何故か非常に弾んだ。
「あの、先日のことでございますが、少しお話をさせていただきたく思います。」
「ええ、まあどうぞ。」
「私あの後に、かなり考えました。いえ決して、暇ということもございませんが、
子どもも大きいですし、手はかかりませんので、家事だけをしておりますが、いえ
最近では自然食品の宅配のご近所の取りまとめとかもありまして、それなりに普通に
生活しているのでございます。しかし、今回のことですこし考える時間が増えまして、
台所にいましても、寝る前にも考えことをしてしまいます。」
「あの、立ち入ったことをうかがうかもしれませんが、いまどのあたりのこと考えていらしゃいます?」
「いえ、お話をうかがった全てです。」
「というと、アリとかカメとかですか?」
「そうです。キリギリスもウサギもそうです。猫もでてきましたね。」
「は、はい。」
「それでやはり兄に、これまでのことをまとめて、私が思うことも含めて話をしました。」
「どんなふうにですか。」
「たとえの話には、それを話すものの伝えたい気持があるのだということ、
ですのでその伝えたい気持がなければ、たとえの話はお話というだけで、
よそのものにはなにも伝わっていないということです。
兄に伝えることもできずに、それを介して息子に伝えることなど無理だなと思いつきました。」
「なるほど。」
「しかし、まだわからないことがあります。」
「はい。」
「猫のことです。」
「はい?」
「長靴をはいた猫です。」
「えー、はい。」
「この件につきましては、どうしても私も兄もわかっておりません。
ですので、どうしてもきちんとお話を伺ったほうがいいと思うのです。」
「んー」
「私もですが、これは兄がどうしても知っておきたいというものですから。
ですので、ちょっとお待ちください・・・」

電話の女性はいつものように丁寧な言葉使いで、ひとつひとつの言葉を確かめるように話をしていた。

「えー。もしもし。」
「はい。」
ややしわがれた男性の声だった。
「あー、カメの兄です。」
「はい?」
「あー、猫さんですか。カメです。ウサギとカメのカメです。」
「はーはい。」
「いつも妹が大変お世話になっております。」
「いえいえ、そんなことは・・・」
「今日はね。どうしても猫さんの話を聞きたくなりましてね。それで電話したんですよ。
考えだすとキリがなくてね。あーでもないこうでもないという風にね。
で、まあ話をね、直接聞いてみるというのがいいんじゃないかと、
これにね、あー妹にね、話してね、それで電話してもらったんです。」
「はい。」
「で、さっそくだけど、猫さんはなんでサッカーの仕事しているの?
あーいや、私もサッカーはいいと思っていますよ、あれはいい。
赤かったり、青かったり、歌ったりして、なかなかいいね。」
「赤?青?ですか。」
「ほら、赤い服着ていっぱいあつまるでしょう。よくニュースで見ますよ。
青い服のときもあるけど、青い服は時々だね。スポーツはいいよね。」
「はい・・・」
なにか誤解しているようだ。

「話は戻してだ、私の甥のことなんだけど、これがねサッカーをやりたいとねいっておるようで、
まあ、別に反対とかそういうのでもないんだけど、それは大学に入って、
好きでサッカーやる分にはそれはいいと思う。スポーツはなんかしたほうがいいと思いますよ。
でもね、それは大学に入ってからだ、大学に入るのにサッカーで入るというのは、ちょっと違う。
私はそう思ったわけ。わかりますか?。」
「ええ、充分に。」
「で、妹から相談受けた時には、甥に話して聞かせなければならないと思ったわけです。
ところが、妹から聞くには、サッカーの仕事をしている人からは、
はっきりと甥の考えがそれは違うと言われなかったと、言うじゃないですか。
それでね、話を聞こうと、
猫が何故長靴をもらって恩返しをすることになったのか、それを聞いておこうと。」

電話の声は、ここで咳払いをひとつした。

「で、猫はどうしたの?」

「んー、お役にたてれば、いいんですが・・・
何の役にも立たないかもしれません。
でもせっかく電話をいただいたので、それでは、すこしだけ、お話をいたしましょう。
30年近くも前のことですからもはや全ての常識がずれているかも知れません。
ですから正しいとか、こうしろとかそういうものではないのです。ただのお話です。
そういう風に聞いてください。
僕は、進学校から普通に受験して大学に進んで、そこで本ばかりを読んでいました。
読むというより漁るという表現のほうが正しいかもしれません。
文芸書だの哲学書だのとにかく毎日が本に埋もれて生活がしたいと思っていました。
できれば将来は大学に残って、一生本を読み続けることができると幸せだろうなあと感じていました。
今ではまったく流行らないですが、パンのミミをかじりながら本当にそうやって暮らしていました。
お金がなくなると、吉祥寺で食器屋や本屋、クーラーの取り付け工事の助手なんかのアルバイトをしては、
まとまったお金をつくって、また本を買うということをしていました。」

「すこし前の学生はみんなそうしていたねぇ。」
「そうですよね。あるのは本と音楽、そして映画くらいしか自分の内に身近に取りこめるメディアがなくて、
しかもそれを入手するタイミングすら限られていました。とにかく取り込みたかった。
僕はまとまったお金が入ると、本を買い続けました。古本屋でさえ高額な料金の本を買っては読みました。
そうするうちに、プルーストという作家の書物を読み解こうとして、
作品を軸にして、記憶と時間という概念にはまり込んでいったんです。
迷子になったようでした。とんでもなく深い森の奥に迷い込んでしまったようです。
ベルグソンというフランスの哲学者に強く傾倒していきました。
多くの数学者や科学者が時間を光や光子という名前のものにシンクロさせ定量化して
エネルギーとして数値化しています。その全ては見ている者が、
客観し、観測するという側面から理論は構築されています。科学者ですから当たり前ですよね。
ところがベルグソンは違った。
全ての時間は記憶であると、そして現在、今という瞬間は存在しない、
時間とは全てすぎゆく過去の記憶であるというのです。
宇宙を構築しているのはこうした個の記憶であると。極端な話ですが、目をとじれば、世界はそこに存在しない。」

「・・・・」
「個の意識のなかにだけ世界はあり、その個の意識は決して侵されることがない。
彼はなぜ僕ではないのか。僕はなぜ彼ではないのか。
自己の意識は完全に閉じられていて、そしてそこで世界を、宇宙を完結してしまうのです。
でも自分という意識、個が形成されるためには、自分ではない他者が媒介しなければなりません。
あー、なんだか話がとんでもないほうに行きました。
で、ですね。そうやって本ばかり読んで4年間過ごしてきたんです。
時間や距離を越えることができる本というメディアを媒体装置として、
あらゆる人々の個の意識、つまり他者の記憶を僕は覗こうとしていたのです。
でも、やはりこれではダメだと。
経済的にも精神的にもこのままでいいというわけがないと、これではダメだと、
ある時何のきまぐれか思ったわけです。
何のきっかけでもなく、ある朝歯ブラシを咥えた瞬間にそう思ったわけです。
漠然とした不安のようなものは持ってはいましたが、その不安を解決しようとする結論を、
自分がそのような形で見出すとは思いもよりませんでした。
なにしろ、前日までそれでいいと思っていた自分が、朝になると違うんですから自分でも不思議でした。
でも決めてしまったのです。
歯ブラシを咥えた瞬間に本を読むことをやめて社会に出ようと決めてしまったのです。」

「不思議ではない。それが世間ではあたり前です。私も若いときはスキーをやっていて国体にも出たことがある。
だが生活とそれは結びつかなかった。それがケジメというものでしょう。」
「そう言うのかもしれません。」
「すぐに就職したのかね。」
「いえ、すぐに就職活動を始めたわけではなく、今度はバックパックを背負って、ヨーロッパにいきました。
社会とか世界とか知りませんから、見に行くことにしたんです。
いきなり南回りの各駅停車の飛行機を乗りついで、ローマからはじめました。
これもまったくの思い付きだったのです。
でも最初にローマでサンピエトロ寺院に行って、
もうここで自分の持っていた世界感みたいなものが全壊してしまいました。
なんなんでしょう。自分のなかで整理されていたはずなのに、あの伽藍の本当にある姿、
現実にある存在を見て、あまりのことに圧倒されるてしまったのです。
他者とかそんな言葉ではないですね。
とにかく圧倒的でした。まあ最初に驚いたおかげで、後は楽に何を見ても驚くことなく、
無計画のままにふらふらとあちこちを歩くことができました。」

「そうかね。私は仕事で3年ミラノに住んでいたのだよ。娘達もそこで育った。」
「ミラノもすばらしいところですね。スカラ座のオペラは夢のようでした。
ドーモに登ってアニー・ジェラルドを探しました。」
「ドーモの裏手にパンダレストランという中華料理の店があって、そこには週3日はかよったな。懐かしいねぇ。」
「そういう旅も、何もしないうちに、いつかパリを最後に終わりました。
とうとう、本当にとうとうまったくスイッチを切り替えて、ネクタイを締めて、
紺色のスーツを着ました。就職活動をはじめたわけです。
社会とよばれる世界に出ようと決心したわけです。
僕が試験を受けた会社は一部上場の電気メーカーでした。」
「あなた、文系なのになんでまた電気メーカーなのよ。」
「まったく、よくわかってなかったせいです。」
「そこに就職したのかね。」
「ええ、面接で「言葉が表象としていかに意味するものに変化するか」についてでっちあげたのですが、
これが言語学が専門と誤解されて、気に入られたようです。」
「ほー。」
「やはり100名近くの採用者の中で文科系の人間は僕一人でした。
羊の群に山羊をいれるという管理方法かも知れません。
配属された先は、当時はなんとも先行きがわからないコンピューターの部署でした。
伊豆の修善寺に訓練施設のようなものがありここで3ヶ月研修を受けました。
寝泊りして、企業教育を受けるのです。同時に専門職としての教育も受けます。
今のような便利万端なPCが世の中に登場する前です。
フォートラン、コボルといった機械言語の理解が主だったわけですが、同時に実習をやりました。
・・・どんな実習だと思います。」

「私の方は商社だから検討もつかないね。」
「大きな机の上にトランプを落とすんです。トランプはばらばらに飛び散ります。
そのトランプの札を左のうえから順番に集計していきます。
まずハートの7、スペードのJ、クラブの2なんて言うのを、A、AA、AAAの記号欄に記入していきます。
これを52枚全部集計していって、終わると今度はトランプの札の順番に、
その集計された場所の記号と入れ換えて記録するのです。
スペードの1はBB スペードの2はCCCC、といった具合です。
最終的には実はB、C、Dという記号もAという記号の属性として、
集計ソートされた記号の最後にAA、AAA、AAAAと返還されます。
ただこの作業、問題なのはトランプなので裏側になってしまうものも、
当然あるということです。裏側になってしまうとこれは確認できないもの、つまりブランクになります。
ブランクはブランクのまま記録されます。
見えていることと、見えていないことことが混在して現象として記録されるのです。
もちろん有効なのは見えていることだけ。
見えないものは電気でいえばOFFされてしまいます。
この作業を、何回も、それこそ何百回も行うのです。
最初は職業訓練だから、意味のないことでその持続する姿勢とか、
仕事の効率性を養おうとしているのだとか思っていました。しかしどうでしょう、
100回過ぎたあたりで、この作業に自分が没入していくことに気付きました。
ランダムに見えるトランプのバラマキにどうやら周期性や規則性があるのではないかと疑い始めたのです。
100回が200回になり1000回になり、作業は延々続けられました。
この実習で自分の中にどういう変化が次に起こったと思いますか?」

「どういうこと?」
「・・・一瞬で全部わかってしまうんです。」
「え、」

「トランプが落ちる、机の上に落ちてカードがひろがる瞬間、
これから集計される記号表が、すでに全部頭の中に出来上がっているんです。
しかも、さらにその記号表には、ブランクで表すはずの裏側のトランプのカードでさえ、
表現されているのです。そしてそれはある程度の以上の確立で正しい。」

「ほう」
「これができるようになった自分は、次にこう思いました。
落ちた瞬間でわかるのなら精度をあげていけば、
落ちる直前、その0.001秒前、0.1秒前、1秒前、カードを落とす前でさえわかるようになるのではないか。」
「ばかな。」
「そうです。ばかでした。」

「・・・それで研修が終わって仕事はしたのかね。」
「ええ、本配属になって、
当時オフイスコンピューターと呼ばれてていた部署で、
企業向け会計ソフトのプログラムを担当することになりました。
大きな販社用の物ではなく、小売店向けの経理台帳ソフトの製作です。
入社して3ヶ月たっていました。はじめての顧客がつきました。
クリーニング店向けの部材を売る卸業者でした。・・・僕はここで会社をやめました。」
「3ヶ月か?え。」
しわがれた声は、少々いらだっているようだった。

「まあ辛抱がないな。それでは雇うほうも困りものだ。
理由なんかはどうせないというんだろうね。それからどうしたんだね。」
「これからは、とても長いのです。
猫の主人が登場するのは、まだかなり先のことになります・・・。今日はこれから会議があります。」
「うーん、仕事は大事だ。また電話するとしましょう。それじゃまた。」
「ええ。」

電話は普通に切れた。


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コメント 3

ねずみ

猫さんはやはり只者ではありませんでした。

by ねずみ (2006-11-24 17:05) 

ナナ3.9kg

ほんとに先が長そうです

by ナナ3.9kg (2006-11-24 21:58) 

ミユキック

え〜、まだまだ終わりそうにない〜 奥が深いどころか、この話に
すっかりはまり込んでしまっている私。

by ミユキック (2006-11-25 11:57) 

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