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サッカーミュージアムの素 143 [M@ミュージアムマネージャー]

「もしもし、カネコさんはいらっしゃいますか。」
「はい?カネコですか。」
「はい。」
「いえ、カネコという者は当館にはおりませんが。」
「あれ、あのミュージアムですよね。カネコさんはいないんですか。
あの先日子供の件で叔母が電話しまして、その後私の父が電話したと思うんですが、その担当の方いらっしゃいませんか。」
「叔母と伯父の担当ですか?」
「ええ、ああ、カメといえばわかると思います。」
「ああ、商社にお勤めで、ミラノのパンダ飯店によく通っていたカメさんですか。」
「ええ、よくご存知で。あなたですか担当は?」
「ええ、まあ担当といえば担当です。」
「カネコさんではなかったの?」
「はあ、えーと、・・・正確には猫ですね。まあその、本当はちょっと違っていますが」
「ああネコさんね。ネコさんこんにちは。いつも叔母と父がお世話になってます。」
「いやーその、別にお世話ということは・・・そのう」
「お話をうかがいましたよ。昨日父のところで叔母もみんなで会いました。
夕食を一緒にして、その時にしっかりとお話を聞きました。
父がしきりに今回の話に熱心でしてね、叔母も盛んに話しに加わって、
それは楽しいひとときでした。」
「いやあ、お役に立てて何よりです。」
「まあそれで私も、非常に興味がありまして電話してみました。」
「はあそうですか。」
「お元気ですか。」
「はい?はあ、いたって元気です。」

ミュージアムと名乗るような仕事をしていると様々な問い合わせがある。
多くは場所や料金の取り合わせだが、中には問題が複雑にからんだ質問がある。

「本を沢山お読みになるそうですね。」
「ええ、そういう時期があったんですが、もう今はまったく読む気になれません。」
「本はたまるとたいへんよね。うちもこどもが散らかすだけ散らかしてねぇ。
うちの子小学校2年生の女の子なんですよ。最近はマンガばっかし。」
「本はたまると大変ですよね。僕は先日古本屋に売りに行きました。
思い立って200冊ばかし見繕って、車に積んでいったんです。」
「へえー200冊は多いわねぇ。お金出して買ったんでしょ。惜しくなかったの。」
「ええ、何と言うか、捕まえてかごの中に入れておいた小鳥が鳴かなくなったので、
野山に返してあげれば、また誰かがその鳴声を尋ねてくるだろうと。そして捕まえるものもいるだろうと。」
「ロマンチックね。」
「ええ、ロマンチックです。ロマンチックなお話なんです。
僕が行った古本屋は郊外にあるスーパーマーケットのような古本屋です。
いまでは商店街の中に古本屋どころか、新刊書店さえなくなっていますから、
調べてもっとも近所の古本屋にもっていたんです。
昔の古本屋って、主の親父がひとりで店番していて、
奥付なんか丁寧に読んで古本を値踏みしてくれたものでないですか。
そんなイメージでその郊外の古本屋にはいると、やっぱりちょっと違和感がありました。
店内は明るいし、ゲームとかCDとかDVDとかも売られていて、
カウンターには若い男の子と女の子が片付け物をしていました。本を売りたいというと、
お手伝いしましょうといって、僕の車まで着いてきて全部運んでくれました。
お時間20分くらいかかりますのでお待ちいただけますかというので、了解して店内を歩きました。
美術書のコーナーがあって、日本画の全集を開いて見とれていました。
そのうち店内スピーカーで呼び出されてまたカウンターに戻りました。
そこには2つの本の山がありました。こちらお引取りできます本は121冊、1280円でございます。
こちらの本は申し訳ございませんがお引取りできかねます、って
女の子の店員がニコニコ笑っていうんです。ちっとも申し訳なさそうでした。
で、こっちの山の79冊ほどは、どうすればいいんでしょうって聞くと、
お引取りなければこちらでリサイクルさせていただきますって言うんです。」
「1冊で10円。」
「そうです。廃品処分されるほうをみると、署名入りの本があって、これは署名入りなんですけどっていうと、
本店では書き込みのある本はお引取りできませんという返事でした。
そしてニコニコ笑ってキャンセルされますかって聞くんです。」
「キャンセルしたんですか?」
「・・・いいえ。10円と0円の価値しかない本を、どうして持って帰って本棚に納めなおすんでしょう。
つまりそれだけの価値しかないんです。」
「それはそういう側面だからですよぉ。本の価値と売れるかどうかというマーケットとは違うものじゃない。」
「でもそういうものですよね。」

「たしかにマーケットとか、金銭的な側面でしか価値が付けられないものもありますけど。
本当はそうじゃないんじゃないの。
たしかにすべてに値段がついてその金銭的な尺度が、
全ての価値という風に世の中なっているようだけど、でも、ちょっと違う気する。
あなたの話はねぇ、父をかなり動揺させたようなの。
アリとキリギリス、カメとウサギ、どれも興味があるって。
実は父の会社は中堅の商社なんだけど、大手資本との統合でようやく持ち直したような会社なの。
一時期苦しくてね、企業統合の前は当然のようにリストラが実施されたの。
父はその担当役員だったのよ。
表向きは早期退職者を公募して、自由意志に任せて、会社を去る人、会社に残る人を分けるように見えるんだけど、実際は会社を辞めてもらう人、会社に残ってもらう人というリストのみたいのがあって、
そういう風にせざるを得ないのよ。
どんなに残りたくても、どんなに辞めたくても、そういう風にさせられない人がいて、そこに父は腐心していた。
そして父自身も別のリストではリストラの対象だったかも知れない。
もう行き去った嵐だけども、アリとキリギリス、カメとウサギは、父にかなり考えさせたようよ。
なんでこんなことを知っているかというと、私の夫も父と同じ会社だからよ。
そのときを思うと、生涯賃金を気にして仕事について、住宅ローンと年金の動向を気にできる生活のほうがどれだけいいかと思ったりしたの。」
「失礼しました。」

「ふふ、でね。今日電話したのは、どうしても長靴をはいた猫のことが聞きたかったの。
父がね先日、電話をかけて来てね、ウチの娘に長靴をはいた猫の本を持って来て欲しいというわけ。
なんだかわからなかったけど。それで、近所の図書館に娘といって本を借りて、昨日みんなと集まって、
夕食を食べながら話をして、そのあとで娘にみんなの前で、長靴をはいた猫を大声で読ませたの。
あの子じょうずだった。猫の声色がとても上手いのよ。」
「へー聞いてみたいです。」
「だけど、あれってどこがどうということの無い平凡な話よね。猫が長靴をはいて芝居を打つってだけじゃない。」
「そうです。正直つまらない話なんです。どの登場人物も魅力がまるっきしありません。
ただあの話のいいところは、ハッピーエンドなところだけです。」
「じゃあなんで、あなたは長靴をはいた猫を推薦するの。」
「いえ別に推薦しているわけではなく、本当の話は複雑な話なので、
複雑や悲しい話を極力避けて簡単なほうに転嫁したんです。」
「なんだかわからないわ。簡単に言って。」
「はいそれでは、本当のお話をしましょう。本当のお話。それはいつ読んでも涙が流れます。
悲しいお話です。ですから、ときどき長靴をはいた猫の脳天気なお話も、思い浮かべて下さい。
本当にお話したかったのは、・・・幸福の王子のことです。」
「オスカーワイルド?」
「ええ、猫でなくて、ツバメです。」
「そう。ふんふん、それでは、また明日電話します。
今日のことはみんなに私から伝えます。猫でなくてツバメね。ふんふん。」
電話は切れた。


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ナナ3.9kg

ウッ!

by ナナ3.9kg (2006-11-25 21:46) 

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