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サッカーミュージアムの素 144 [M@ミュージアムマネージャー]

「もしもし」
「はいもしもし。」
「叔母の息子のことで叔母と父が電話したのを聞いて、昨日電話したものです。」
「えー、はいはい。」
「約束どおり電話しました。オスカーワイルドの方ですね。」
「んー、そうともいいますか。」
「昨日の話は、家族に伝えました。みんな喜んでました。父なんか本屋に行って幸福の王子を買ってきたそうです。父って律儀なんですよ。風体と声からは、どうもステレオタイプの親父にしか見えないようですけど。今はさっぱりだけど若い頃はスキー部で国体選手で、ギターなんか弾いてたみたい。って、あんまり関係ないですね。
さあ、みんな用意は整いました。で、猫がツバメにどう変わっていくの。お話して下さい。」
「んー、それでは今日もすこしお話しましょう。」
「はいはい。」
「あまり相槌を打たれるような話ではないようですが・・」
「はいはい。」
「あー、それでは。お話の続きです。僕が最初の仕事を失敗したのはご存知ですよね。」
「ええ、電気メーカーね。」
「そうです。3ヶ月で辞めてしまって、その後のことです。
僕はまあ食べていかなければなりませんでした。アルバイトをすることにしました。
吉祥寺のスーパーマーケットです。そのお店の青果部で働くことにしました。
簡単にいうと八百屋です。スーパーマーケットにはいろんな売り場がありますよね。
売るものが違うのですから、その部署ごとに売り場の専門の店員がいます。
簡単にいえば精肉、鮮魚、青果、乾物といった具合ですね。
市場で仕入れして店頭で売る。それだけのことです。
出店してロッカーで薄い黄色のシャツにネクタイをしてエプロンをして着替えを済ませて、
朝8時には店頭に行きます。
市場で仕入れたトラックを待つのです。
もっと早い時間に仕入れ担当は仕事を済ませていて、近所の駐車場に車を入れて休憩した後、
店頭に現れますから時間が遅れることはまずありません。
青果部には4名の若い男の店員と仕入れ担当の課長、そして青果部を仕切る部長、パートの女性が2名
そして僕がいました。4名の若い店員と僕はトラックから仕入れられた野菜を降ろし台車に積んで、
そのスーパーの入っているビルの地下にエレベーターで運びます。
その地下には各部署ごとに倉庫と作業所がおかれているのです。
そこで仕入れられたものは二次加工され、値札が付けられて店頭に並びます。
お客はそれを手にとってレジに運ぶという当たり前の流れです。
作業場で、僕はレタスの担当でした。
商品として店頭に出すまでの課程には役割があり、経験年数でその作業が分けられています。
まず新入りはレタスやキャベツ、次にトマトやピーマン、そしてアスパラ、きのこなど旬のもの。
最後に果物とういう感じです。
若い男の店員達は実際は地方のスーパーの跡取りなどという人らしく、
誰もがまじめで黙々と作業をしていました。
一日中ラジオが鳴る窓の無い冷蔵庫のように冷えた作業場で、
僕は黙って仕入れられたレタスの皮を2枚ほどをむいてヘタを薄く包丁できり、
薄いパラフィンに包みなおし、目方を量って値段のシールをつけます。
この作業の繰りかえしです。大きなプラスティックのかごにいれて重ねておきます。
他の店員が作る商品も紙のトレーにのせられて、ビニールでシールして値段が付けられて
、カゴの中で保存されています。
時々地上の店頭を見に行く人間が、青果の棚を見て不足した商品をメモして地下に降りてくると、
カゴごと地上に荷出しして店頭に並べるという按配です。」
「普通ね。とても普通の仕事よね。」
「ええ、とても普通です。
スーパーの定休日以外は毎日、このレタスの皮をむく仕事を僕は続けました。
遅番というシフトがあって、通常の勤務時間以後、閉店まで仕事を続け、
閉店間際で店頭の商品を冷蔵庫に戻すという仕事があったのですが、
僕はこれも望んでやりました。
若い他の店員はきちんと時間がくると退社していました。
朝起きる。自転車で出店する。タイムレコーダーを押す、荷卸をし、作業をして、社員食堂で昼食を取り、
作業をして、社員食堂で夕食を取り、閉店作業、タイムレコーダーを押して、自転車で帰宅する。
数ヶ月この仕事を続けていました。
何も考えることがなくて気楽なものでした。慣れてしまうと手だけ動かしていればいいんです。
何個のレタスの皮をむいたでしょう。途方も無くたくさんの数だと思います。
それだけレタスの皮をむいていくと、
何百個に一個くらいに、ぎっしりと実が詰まった、惚れ惚れするように美しく、そしてみずみずしいレタスが現れます。
そういうレタスは、手にもつだけで分かるんです。
ほんとうにすばらしい作品といえるようなレタスがあるんです。
ちょっとだけですが、そのレタスを大事に見て、他よりは丁寧にパラフィンに包んであげて、
値段シールをつけます。値段は身がしまった分、他よりは目方で当然高くなります。
このレタスも他のレタスと同じタイミングで、普通に店頭に荷出しされます。
一番に売れるだろうといつも思うんです。
他のレタスと並ぶとまったく違うものなんですから、お客はこれを先ず手に取るだろうと思うんです。
しかし、閉店にまでこれだけが売れ残ってしまいます。
翌日出しても、これだけが残ってしまうんです。
このスーパーは高いものほど先に売れていくようなスーパーなんです。
10万円のメロンですら売れてしまう。
このレタスどうなると思います。仕入れ担当の課長に見せるんです。
売れ残り品ですと言って。
―よく覚えておくといいよ。売れない商品はどんなに良さそうに見えても、
売れない商品なんだからだめなんだよ。客が買いたくない商品はだめなんだ。
そういうと、大体ばっさり包丁で半分に切られて2つ分けられ再度値段をつけ直すように言われます。
物には相場があってそれ以上でもそれ以下でもないということですね。
10万円のメロンも、それはそれを買いたい客がいて、
このスーパーにしか売られていなかったというだけ。
美しいレタスを買いにくる客はいなかったということです。
僕は時々、こんな風にレタスで勉強しました。」
「レタスで勉強したのはよくわかったわ。それでどうなったの」
「ある日のこと、夜中に電話がかかってきました。
以前アルバイトで荷物運びを手伝った子供向けの着ぐるみの劇団のスタッフからでした。
とにかく手が足りないので手伝ってくれというものでした。
気が進まないのですが、困っている風なので、1日だけの約束で手伝うことにしました。
スーパーには翌朝早朝に、所用があると言って休みをもらいました。
休んだことがないので、逆に風邪でもひいたかと聞かれたくらいでした。
郊外の市民会館に電車で出かけて行き、劇団の大道具小道具の搬入を手伝いました。
一体の幼稚園の合同観劇会でした。
黙々と荷物を運び、黙々と仕込み、子供達が父兄とともに入場し、お芝居が始まります。
そして終わると黙々と撤去して、黙々と運び出すのです。
日当をもらいながら、今度の何日も手伝ってくれないかなと誘われました。
断る気もないので、返事をしてしまいました。
それからスーパーでレタスの皮をむく仕事と着ぐるみの劇団の手伝いのアルバイトの生活がはじまりました。
劇団のアルバイトというのはそれほど頻繁にあるわけではありませんが、
関東近郊が徐々に長距離になり、山梨や茨城、群馬、長野と宿泊を伴う連続の公演なども時にありました。
最初は荷物の運びこみや撤収だけだったものが、やがて大道具仕込みを手伝いはじめ、
次には芝居の中でくりひろげられる、さまざまな場面の転換作業を手伝うようになります。
つまりスタッフというものになってしまったのです。
きっかけといって、ひとつの出来事、台詞や音楽や効果音や照明の変化で、場面転換は一気に行われます。
それはその役割を負ったスタッフが一斉に作業に取り掛かって成し遂げます。
そのひとつでも間違えば連鎖的に間違いがおこり、
舞台上で表現されているものが成り立たないことだって起こるのです。
スタッフは出演者と同じで、非常に大事な役割を持っています。
演目は三匹の子豚や赤頭巾、ブレーメンの音楽隊といった物語です。
着ぐるみの動物達は舞台の上でテンポよく言葉を使い、
音楽にあわせて実際に存在するかのようにコミュニティーを形成していきます。
子供達には、といっても小学校2年生ぐらいまでですが、現実と舞台でのお話との区別がありません。
彼らにとって、友達と表現される着ぐるみの小さな動物達は、
まさしく自分の友に他ならず、そして狼、その友人達を脅かすものは、
どんなにユーモラスなしぐさをしていても絶対悪としてとらえられています。
狼が少しでも舞台の袖から現れようものなら、客席中が絶叫し、自分達の友人に危険を知らせます。
スタッフは狼の息に合わせてわらの家を吹き飛ばし、板の家を壊し、
やがてレンガの家の煙突に煙を立てて狼を誘い込みます。
小さな動物達は、ついにその悪に打ち勝ちます。
そして着ぐるみも子供達も全員が音楽にあわせて踊り、その幸せを歌うのです。
さすがにカーテンコールで、やっつけたはずの狼がでてくると子供達は憮然とした表情をしますが・・・。
こういう仕事も楽しいといえば楽しい仕事でした。
しかし楽しいとはいえ、
仕事を仕事としてやっていく上でいろいろなことを割り切らなければならない必要があります。
この劇団だけでなくそこに出入りしているスタッフから、
他の公演の手伝いを依頼され、そうこうしているうちに、
さまざまなスタッフに声をかけられることになったのです。
元来このような特殊な仕事は経験が求められるにもかかわらず実際は賃金も安く、
ひどい人手不足です。そしてついにスタッフ仲間から、
ある演歌歌手の公演のスタッフになることを薦められました。
子ども向けの芝居のスタッフとはちがい、
歌手の公演となるとこれは1月に10日から多いときには25日ほどの地方公演がレギュラーとしてあります。
簡単に昔風でいうと、言葉が悪いですがドサまわりの一座に入るということです。
片手間でやる仕事ではなくなります。レタスはもうむいていられないのです。
スーパーマーケットは辞めました。副店長から、もうすこし手伝ってくれと頼まれましたが、
もう次を決めてしまったのです。」
「今度はなんとなくということではなく、やろうと決めたのね。」
「そうです。決めたんです。そして僕はある女性演歌歌手のスタッフになりました。
まさに日本全国の県民会館、市民会館、ホール、公民館をくまなく回りました。
ノリウチといって前日に移動して、当日朝9時から仕込み、午後2回公演があり、
夜10時に小屋を出るとまた次の公演場所に移動します。
食事は弁当。メシ代といって現金ももらいますが、毎日弁当を食べました。
こういう公演は、全部現金です。公演のある当日、1回目と2回目の公演の間に、
興行主とプロダクション、そしてスタッフ側が現金で清算します。
いまどきはそんなことないかも知れませんが、そんな世界であったのも確かです。
当時の公演の進行は、前荷といって舞台の前にコントを若い漫才士がやります。
その後に看板という演歌歌手の登場と歌があり、ひとしきり終わったところで、芝居が入りました。
若い漫才士がやるやくざものに脅されるまずしい親子を旅の着流しの姉さんが救うというものです。
チャンバラです。救った子が、実は姉さんの実の妹だというオチがあるのですが、
姉さんは黙って去っていくといった芝居です。
その後は後半の歌謡ショーとなり、大拍手のうちに幕が下りるのです。
お客は大変満足しています。特に途中の芝居には涙を流して見入っています。」
「ふーん。」
「ああ、すこしひとりで話すぎましたね。」
「いえ、いいのよ。それからどうしたの。」
「それから」


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コメント 2

otoko

深い!

by otoko (2006-11-28 22:28) 

kenkid

サッカー博物館ブログて面白いですね。Jができて13年人気が定着し代表が強くなったのはいいですがサッカーに関係する仕事がすくないのは残念。もしできればなりたいしもっと言えばそのようになれば本当にみんなが楽しいサッカー人気になりそうな気がします。

by kenkid (2006-11-29 00:01) 

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